転職した話

地方の建設会社に大卒から入社し、20年2ヶ月勤続した。

入社し新入社員研修終了後、購買部に配属。

1年後経理部に配属された。その後、経理部と総務部が合体したり離れたりする過程で事務系の様々な仕事を経験した。

10年後営業部へ配属された。営業事務を担当したが人手不足から営業マンとしてお客様の元へ訪問する仕事になった。色々な世界を見るにつれ、自分の会社をもっと良いものにしたいと思い勉強会、セミナー、研修を受けた。この件でトップと話し合ったこともあった。

4年後、前任者のコンプライアンス違反により東京支店へ赴任し責任者となった。責任者となったことで会社の幹部会議にも出席するようになった。トップを始めとした自分より上席の幹部の話を直接聞く機会が増えていく中で徐々に違和感を感じ始める。違和感というか、自分が作っていきたい会社が大切にしたい価値観や信念とは非常に大きな隔たりがあるようだと感じた。

僕は社会への貢献とか、社員の成長とか生活レベルの向上とか、月並みで受け売りかもしれないけれどそういうものを目指したかった。でも幹部の口から出てくるのは利益、お金、不正。一時期は幹部の価値観と自分の価値観を無理矢理結びつけて理解しようとも試みた、無理だった。不正はすでに行なっていた。経理をやってたから知っていた。

事件が起きた。仕事中に従業員が倒れた。脳に関する病気だ。調べていくと月間残業時間が過労死レベルを軽く超えていた。倒れた彼は一命は取り留めたが身体に後遺症が残った、20歳代前半だ。業務上の疾病であることは当然だが、会社は突然取るべき対応を取らなかった。取らなかった結論への経緯は知っているが、やはり取るべきだったと思う。リハビリ後、彼は職場復帰した。これまでの回復の経緯から、今後の職場復帰で回復も早まるだろうという主治医の見立てによるものだったが、回復は芳しくなかった。復帰から徐々に悪化していった。そうなると、事故当時に会社がなぜ然るべき処置を取らなかったかという不満が彼から湧き上がった、当然だ。そういう話を会社にした途端、幹部の1人はその件に自分は感知していないと逃げた。また彼の時間外労働が適切に計上されていないとか、前夜には食事に行ってアルコールを摂取していたとか、疾病と仕事の因果関係にとって反証とも言えるような事象を探し出し始めた。そういう話をしていた頃、彼はこれ以上この会社にいても良くなるどころか悪くなるので退職すると言って退職した。

ちょうどその頃(3月中旬だった)、親くしていた友人がなくなった。闘病中だった。僕の芽が出る前から色々な話をしたり、彼女のお陰で多くの人とも知り合えた。知り合ってからの期間はほんの5年位だろうか。でも濃い期間だ。彼女はプライベートでも仕事でも触手の動いた方へ果敢に向かって行った、凄い行動力だった。彼女の想いから始まった活動は彼女がなくなった今も全国に広がり続けている。ただ、彼女がなくなる前、あることから関係が少しぎくしゃくした、信頼しているからこそ僕が言ったことが原因だ。あのことを言うべきではなかったとは全く思っていないが、伝え方とか信頼関係の成熟度とか読み違えてたとしたら後悔が残る。

4月になり、3月まで取り組んでいた仕事が終わり諸々の処理をしていた矢先、直属の上司が本社から来た。人事異動だ。東京支店の責任者から、本社へ戻り現業部門(工事現場の現場監督)へ異動せよとのことだった。業界常識的にあり得ない異動命令とこれまでの会社への不信感。直前になくなった友人の生き方が僕に囁いた、嫌なことを我慢して生きてはいけない、と。辞めた後のことは何もわからないけどもうこの会社には居られないと感じた。退職することはその日のうちに決めた。当時付き合っていた人にもその夜伝えた。

翌日は仕事の旅行だった。同業の先輩方と一緒だった。上京して右も左もわからない状態の僕に、東京での動き方を教えてくれた信頼している先輩方と一緒だった。旅館へ着いて簡単な仕事の打ち合わせが終わり雑談している時に退職を決意したことを先輩方に告げた。本当にお世話になった先輩方なので本当のことを話し、自分の当時の状況も踏まえて話した。号泣してた。今の会社を辞めるが、営業という仕事が好きなので同業の会社で仕事がしたい、もしそんな会社を知っていたら紹介してくださいとお願いした。先輩方は協力してやろうと言ってくれた。また涙が止まらなかった。

その後の宴会の席で事件が起きた。○○さん、いくら? 先程の話を聞いていた先輩の1人が声を掛けてくれた。

後日別の先輩も声を掛けてくれた。他にも話を聞きつけた方が声をかけてくれた。

数社からオファーを頂いて嬉しかったというより本当に有り難かった。人との縁はどこで活きてくるかわからないと思った。

偶然にも両親と会う機会が2日後にあった。現職を辞めることと、地元に帰らず東京で転職することを話した。寂しいと感じていたかもしれないが理解してもらった。

最初に声を掛けて頂いた会社にお世話になることにした。なくなった友人が生きられなかった今日を僕は精一杯自分らしく生きようと思った。